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このコラムでは昭和の様々な出来事を思い出と共につづり、そこにある人間社会の本質的な変化を掘り下げてみようと思います。

水曜日のおばあちゃん(U)


同級生のクラちゃんの家は、神田川沿いの廊下の穴から土手が見えるようなデンジャラスな長屋。学校から一番近いクラちゃんの家は寄り道コース。銀行のビルで鳴らす「キ〜ンコ〜ン」の鐘の音が聞こえたら帰るようにという親との約束もどこへやら。遊びふける小学一年生たちに、同じ長屋のおばあちゃんが「ご飯食べていきな」。よくそのおばあちゃんの家では、ご飯をごちそうになった。
そのおばあちゃんは、一人暮らしでおそらく水曜日のおばあちゃんと≒くらいの境遇ではなかったのではないかと今にして思う。どうもクラちゃんの親を含めご近所で色々食べ物を都合してあげていたようだ。そんなおばあちゃんの家で遠慮も無くバクバクごとそうになる小学一年生たち・・・。

当時は社会保障も充実してなく、大きな町には多くのルンペンさんがあふれていた。うちの親もクラちゃんの親も皆、施しが当然のことと考えていたようである。
施さなければ、ほっておけば、“死んでしまう”。

有史以来、人間は死というものから如何に遠ざかるかということを共通の価値として社会や国家、宗教や科学を発展させてきた。なぜなら人間はほっておけば死んでしまうものだったから。そういう時代、人々の心の奥底にはいつもやさしさがあった。死というものを共有する連帯感。

現在、ほっておけば死んでしまう人々がどれほどいるだろうか。(もちろん、病気の方々や、身寄りのなくなった子供たちは別だが)

ホームレスと呼ばれる人々がメタボを患い、ペットも飼っている。
一方で彼らを襲撃する子供たち。

何かが、おかしい。

キリスト教も仏教も“ほっておけば人間は死んでしまう存在”ということを前提に紡ぎ上げられてきた。

ほっておいても人が死なないことを前提にした宗教や哲学はいまだ出現していない。


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